2013年09月28日
下津井電鉄の廃線跡を辿る
岡山で平成3年まで走っていた下津井電鉄の廃線跡を訪ねた。
倉敷の郊外のJR茶屋町駅から瀬戸大橋が見渡せる下津井漁港まで21kmを走っていた下津井電鉄
茶屋町~児島の間は昭和47年に廃止されているにも関わらず、廃線跡は倉敷市が歩行者と自転車用の道路として整備していて、ほぼ全線で跡地が辿れます。
茶屋町駅前は整備されていて、下津井電鉄の痕跡は見当たらず。
しかし、駅からすぐのところから、廃線跡が南へ延びていた。
歩道の様に見えるのが、廃線跡

淡路島の淡路交通の跡地は家が建っていたり、田んぼになっていたりと辿るのが難航しましたが、今回は今まで一番楽な廃線跡めぐりでした。
茶屋町駅の辺りでは平地を通るため通学の高校生が自転車で列を組んで通ったり、近所の人が散歩やジョギングしたりと、廃線跡はすっかり生活に溶け込んでいました。

鉄工所の脇に置いてあったレールは、もしかしたら下津井電鉄のものかも?
左奥に見える橋は廃線跡です。

児島から下津井までは海沿いを避けて山の中腹を通ります。駅も小高いところにあるため、電車に乗るには不便やったやろうな。
児島ボート裏の琴海駅のホーム
トンネルかと思ったら、木が生い茂っている木のトンネルでした。
児島~下津井の間は架線柱やホームも残されていました。


下津井の町まで来ると瀬戸大橋が見えて、ええ景色です。
終着駅だった下津井駅跡に当時の電車が保存されていて、地元有志の手により塗り替えなどの整備が行われていて、状態よく保存されていました。
レール幅が狭くて、車両も小ぶりなかわいい電車です。
倉敷の郊外のJR茶屋町駅から瀬戸大橋が見渡せる下津井漁港まで21kmを走っていた下津井電鉄
茶屋町~児島の間は昭和47年に廃止されているにも関わらず、廃線跡は倉敷市が歩行者と自転車用の道路として整備していて、ほぼ全線で跡地が辿れます。
茶屋町駅前は整備されていて、下津井電鉄の痕跡は見当たらず。
しかし、駅からすぐのところから、廃線跡が南へ延びていた。
歩道の様に見えるのが、廃線跡
淡路島の淡路交通の跡地は家が建っていたり、田んぼになっていたりと辿るのが難航しましたが、今回は今まで一番楽な廃線跡めぐりでした。
茶屋町駅の辺りでは平地を通るため通学の高校生が自転車で列を組んで通ったり、近所の人が散歩やジョギングしたりと、廃線跡はすっかり生活に溶け込んでいました。
鉄工所の脇に置いてあったレールは、もしかしたら下津井電鉄のものかも?
左奥に見える橋は廃線跡です。
児島から下津井までは海沿いを避けて山の中腹を通ります。駅も小高いところにあるため、電車に乗るには不便やったやろうな。
児島ボート裏の琴海駅のホーム
トンネルかと思ったら、木が生い茂っている木のトンネルでした。
児島~下津井の間は架線柱やホームも残されていました。
下津井の町まで来ると瀬戸大橋が見えて、ええ景色です。
終着駅だった下津井駅跡に当時の電車が保存されていて、地元有志の手により塗り替えなどの整備が行われていて、状態よく保存されていました。
レール幅が狭くて、車両も小ぶりなかわいい電車です。
Posted by びば at 08:42 │ comments:(0) │ 鉄道・廃線
2011年10月02日
廃線跡に光る赤信号
岐阜の美濃赤坂は中山道の宿場町
東海道本線から分岐して美濃赤坂が終点の路線があるが、分岐していてもこの路線は東海道本線の一部

その美濃赤坂駅から西濃鉄道という貨物専用の私鉄があり、一部が廃線となってしまいっている。
美濃赤坂の駅前にも石材の工場がたくさんあり、山手には採石場がある。
西濃鉄道は石材運搬用に引かれた貨物路線らしい。
さて、その廃線となっている昼飯線(ひるいせん)は、美濃赤坂駅の手前から西へ分岐している。
分岐近くには西濃鉄道の車庫があり、錆びて朽ちかけのディーゼル機関車が留置されていました。

分岐するとすぐに踏み切り跡があります。
ここに立っている信号機は今も赤色の灯火を点灯しています。


廃線から5年を経過し、その前から何年も列車は走っていなかったらしいので、もしかしたら10年以上も、見てくれる列車も無いのに点灯しているのかもしれない。
さて、今回の探訪では、最初は廃線跡を歩いてみるつもりでしたが、草が生い茂りとても歩ける状態ではありませんでした。

迂回しながらも路線跡を辿ります。
途中で美濃大久保駅跡に出ます。駅の中は草ぼうぼうですが、その手前ではレールが見えます。

昼飯線はここでスイッチバックの要領で終点の昼飯駅へと向かいます。
路線沿いの石材会社にはその昔、貨車に荷物を積み込んでいたであろうホーム跡が残っています。

終点、の昼飯駅には何本もレールが分岐し、そこそこのターミナルだったようです。
ホーム跡、駅舎などが現存しています。

東海道本線から分岐して美濃赤坂が終点の路線があるが、分岐していてもこの路線は東海道本線の一部
その美濃赤坂駅から西濃鉄道という貨物専用の私鉄があり、一部が廃線となってしまいっている。
美濃赤坂の駅前にも石材の工場がたくさんあり、山手には採石場がある。
西濃鉄道は石材運搬用に引かれた貨物路線らしい。
さて、その廃線となっている昼飯線(ひるいせん)は、美濃赤坂駅の手前から西へ分岐している。
分岐近くには西濃鉄道の車庫があり、錆びて朽ちかけのディーゼル機関車が留置されていました。
分岐するとすぐに踏み切り跡があります。
ここに立っている信号機は今も赤色の灯火を点灯しています。


廃線から5年を経過し、その前から何年も列車は走っていなかったらしいので、もしかしたら10年以上も、見てくれる列車も無いのに点灯しているのかもしれない。
さて、今回の探訪では、最初は廃線跡を歩いてみるつもりでしたが、草が生い茂りとても歩ける状態ではありませんでした。
迂回しながらも路線跡を辿ります。
途中で美濃大久保駅跡に出ます。駅の中は草ぼうぼうですが、その手前ではレールが見えます。
昼飯線はここでスイッチバックの要領で終点の昼飯駅へと向かいます。
路線沿いの石材会社にはその昔、貨車に荷物を積み込んでいたであろうホーム跡が残っています。
終点、の昼飯駅には何本もレールが分岐し、そこそこのターミナルだったようです。
ホーム跡、駅舎などが現存しています。
Posted by びば at 20:51 │ comments:(0) │ 鉄道・廃線