2025年03月24日
【廃線探訪】新潟交通電車線 その3
↓新飯田駅跡を過ぎると廃線跡は西へカーブし一直線に西進します。
↓田園風景の中まっすぐ西へ向かいます。奥に見えるのは東北新幹線です。
↓東北新幹線の高架下では橋桁が確認できます。
↓さらに築堤も確認できます。
↓そして廃線跡は小中川駅跡に
↓小中川駅跡を過ぎると自転車歩行者道となりさらに西へまっすぐ進みます。
↓東北自動車度と交差しさらに西進します。
↓灰方駅跡付近です。
↓灰方駅を少し西に進むと廃線跡は燕駅に向かい南へカーブします。グーグルのストリートビューで整備前で昔の電柱も写っていましたが、今は自転車歩行者用道路として整備されていました。
↓さらに燕駅に近づくとカーブしながら東へと向きを変えJR線に並行しながら燕駅に着きました。
Posted by びば at 18:52 │ comments:(0) │ 鉄道・廃線
2025年03月20日
【廃線探訪】新潟交通電車線 その2
途中に橋桁が残されていました。
堤防沿いに六分駅跡の表示板が有りました。若干廃線跡とずれているように感じました。
さらに廃線跡は堤防沿いを進みます。
新飯田駅跡です。公園として整備され水洗トイレもあって、廃線探訪時には助かります。この駅から廃線跡は西へカーブし燕駅の方向へ向かいます。
Posted by びば at 07:46 │ comments:(0) │ 鉄道・廃線
2025年03月18日
【廃線探訪】新潟交通電車線 その1
新潟交通電車線はJR新潟駅から離れた場所、新潟市役所の南側を起点として、しばらくは道路を走っていました。
↓JR白山駅前 この道路を電車が走っていましたが痕跡は見つけられませんでした。
↓道路の左側、歩道とガードレールの間が廃線跡と思われます。この先で道路から離れ駅と車庫があった場所には老人ホームが建っていました。
↓廃線跡らしい痕跡はさらに東進し、信濃川分水路を越えるとこからはっきりと確認できます。

↓廃線跡は歩行者用道路となり信濃川堤防から緩い坂となって住宅街を抜けていきます。
↓廃線跡は信濃川支流の中ノ口川の堤防沿いを通ります。
↓廃線跡が広くなるところが有ります。味方駅跡です。
↓月潟駅跡では電車が保存されていましたが工事中で近づけず。
Posted by びば at 07:02 │ comments:(0) │ 鉄道・廃線
2024年07月03日
50店舗集結のバルチカおっさん(O3)が今月末に開業するらしい
barchica03
京橋のまついさんが梅田に来るのが嬉しすぎ!

2階(2店舗)
・コーヒー専門店「猿田彦珈琲」
・おにぎり専門店「発酵まんま」
3階(5店舗)
・カフェ/ダイニング「BLUE YARD(ブルーヤード)」
・スペイン料理「XIRINGUITO Escribà(チリンギート エスクリバ)」
・フレンチバル「le comptoir(ル コントワー)」
・バー「SAMBOA Osaka Terminal(サンボア オオサカターミナル)」
・ラーメン「らぁ麵 鴨と葱」
4階(20店舗)
・日本食/和食「さかふね」
・中華料理「四川酒家 福龍」
・天ぷら居酒屋「天ぷら大吉」
・韓国料理「小さな韓国 あぷろ 03」
・牛たん料理・ずんだカフェ「仙台名物 牛たん炭火焼 吉次」
・海鮮が安いだけの店「スタンドふじ」
・和食「和心 だし巻き家こんび」
・蕎麦「夕霧そば 瓢亭」
・鉄板焼居酒屋「テッパンサンバ」
・寿司「寿司赤酢 遊」
・お好み焼き「お好み焼き いまり」
・中華料理「梅蘭」
・沖縄料理「沖縄酒場ハイサイ」
・和食バル「和ル 一誠」
・大衆イタリアン「大衆イタリアン ブドウヤ」
・トンテキ/洋食/生ビール「洋食&生ビール サル食堂」
・干物居酒屋「ひもの野郎」
・ビアレストラン「フランダーステイル」
・餃子/チャーシュー/シューマイ酒場「餃子酒場 満太郎」
・居酒屋「堂山食堂」
5階(23店舗)
・割烹「一石三鳥」
・博多串焼き「博多串焼きバッテンよかとぉ」
・イタリアン「イタリアン バール ラ・ピニャータ」
・すし/天ぷら「天ぷらと。すしいち second」
・鉄板焼/鉄板創作串料理「鉄板神社」
・揚げ物専門立ち呑み「アゲダチ」
・焼肉「焼き処 肉とその時々の」
・中華料理「薬膳中華‐YAKUCHU(ヤクチュ)-」
・焼肉「黒毛和牛 吟味屋」
・居酒屋「囲炉裏屋 炭えん」
・居酒屋「宮崎酒場ゑびす」
・立ち呑み居酒屋「おでんと、アジフライ。」
・串かつ/どて焼き/おでん「立呑み 串かつ まつい」
・立ち呑み居酒屋「立呑めがね堂」
・立ち呑み居酒屋「かこも 晴」
・串かつ専門店「串かつ 七福神」
・和食居酒屋「わすれな草別邸 酒処すずめ」
・居酒屋「漁師酒場あらき」
・スタンド酒場「ヒロカワテーラー」
・中華料理「海鮮中華 Ja.ChA飯店」
・ホルモン/煮込み/豚足「乃ノ家」
・焼鳥「乙」
・会員制和食居酒屋「よこのいと」
Posted by びば at 13:23 │ comments:(0) │ ブログ鉄道・廃線
2023年11月04日
京阪電車の路面電車時代
昔は京阪本線から京津線への乗り入れもあったようです。
京津線が地下化される直前の様子の写真です。





Posted by びば at 18:06 │ comments:(0) │ ブログ鉄道・廃線
2022年11月14日
阪急電車桜井軌道線(箕面)の痕跡を求めて
大正末期までの地図では道路を通っていたことが確認できますが、昭和初期の地図では現在のルートを通っています。
軌道線は赤点線のように通っていたようです。

戦後に撮られた航空写真では道路から線路へとつながる路盤跡が見えます。

西側の家の並びも路盤跡に見えます。

↓ 実際に現場へ赴く道路が緩やかなカーブを描いています。本来この道は旧西国街道なので踏切へ向かって真っすぐに伸びいていたはずですが、線路へ合流するようにカーブしています。下記地図①です

↓ 軌道線が有ったと思われる部分だけ西国街道の道幅が広くなっています。下記地図②です。

↓ 突き当りのタクシーの車庫に旧桜井駅が有ったと思われ、そこから専用軌道に戻り左にカーブしていきます。ここからまた西国街道は細くなります。下記地図③

↓ ここで今の線路へとつながります。右側の住宅が路盤跡と思われます。地図④

架線柱などはもう残っていませんでしたが、それなりに路盤跡が確認できました。
※地図、航空写真の出展は国土地理院の地図・航空写真閲覧サービスを利用しました。
Posted by びば at 19:55 │ comments:(0) │ ブログ鉄道・廃線
2022年10月20日
阪急北野線の痕跡を求めて
阪急電車が路面電車って意外な感じもしますが、もともと箕面有馬電気軌道という会社で軌道(路面電車)として開業したため箕面の桜井駅辺りでは実際に路面を走っていました。
当時の地図では、阪急北野線と阪神北大阪線は北野付近で交差していたようです。
Wikipediaによると、北野線の開業は1910年(明治43年)、休止は1949年(昭和24年)で複線だったようです。交差する阪神北大阪線の開業は、1914年(大正3年)なので、阪急北野線が先に開業していたので、野田阪神から天六へ向かう阪神北大阪線と交差することになったと思われます。

さて、阪急電鉄(公式)さんのツイッターに興味深い写真があります。北野劇場と梅田映画劇場の前に停まる北野線の車両です。

戦後すぐの航空写真によるとツイッターの写真に写る曲がったビルが確認できます。(オレンジ線)、そして電車は緑の辺りです。すると場所は今のHEPナビオ前路上です。
ここから路面を走り北上していたと考えられます。するとエスト前のJR高架下(ピンク色)を通っていたに違いありません。

出展:国土地理院空中写真閲覧サービス
そして、ピンク色の現場の高架下に行ってみると・・・なんと!それらしい痕跡がありました。
架線を支えていた金具が取り付けられていたと思われる鉄筋


さらに補強するような2か所の鉄骨!複線の痕跡か?

これが、阪急北野線の痕跡だと考えられます。
が、でも謎が?
そもそもJR(省線)は地上を通っていて、昭和9年にJRが高架、阪急が地上へと切替工事が行われました。明治に開通した路面電車の北野線は地上を走る省線と交差していたことになります。東海道本線という超幹線と平面交差は考えがたいですが、当時はなんでも有りやったんかもですね?謎!
Posted by びば at 22:06 │ comments:(0) │ 鉄道・廃線
2021年08月15日
新快速が運休すると・・・・@JR西日本
大雨でJR西日本は高槻から京都側を運休しました。今日も運休したままでしたが、普段は、新快速、特急、貨物列車が通るレールには、たった1日運休しただけで、もう錆が・・・
Posted by びば at 16:51 │ comments:(0) │ ブログ鉄道・廃線
2021年05月12日
阪急電車の荷物電車
1両だったこことは覚えていても、色、形は思い出せず。
あれって、どこからどこへ何を運んでいたんだろう?
Wikipediaで調べると阪急の貨物営業は昭和29年で終了しているらしい。
すると・・・社内連絡便的なものやったんやろうか?
Posted by びば at 19:09 │ comments:(0) │ 鉄道・廃線
2021年05月11日
摂津富田、松下専用線の痕跡を求めて その2
東海道本線につながる線路配置も見えます。また、意外と貨物を扱う割に駅の待避線が短いことや、盛土で国鉄より低い位置にある工場内に引き込まれていたのがわかります。現在は、盛土はまったく痕跡が無いです。
2020年11月9日投稿
摂津富田、松下専用線の痕跡を求めて
https://edaymaido.osakazine.net/e722358.html

Posted by びば at 04:07 │ comments:(0) │ 鉄道・廃線
2021年04月17日
阪急電車の工場

子どものころJR(国鉄)に乗って大阪から神戸に行くときに尼崎の辺りで阪急電車の新車が並んでいるところがありました。
最近、久しぶりに電車で神戸に行ったのですが、それらしい場所は見つかりませんでした。
あれはどこやったんやろう?
で、もう一度神戸に行く機会があったので、左手の車窓をしっかり見ましたが、まったく痕跡がわかりません。
で、国土地理院の昔の航空写真が見られるサイトで昭和50年の写真を見て見ると、それらしいものが・・・
青矢印には屋根の上にクーラーが3つ載った電車のように見えます。緑矢印も電車に見えます。
当時は、ここで阪急電車を作っていたのだろうと推測してみました。
Posted by びば at 17:32 │ comments:(0) │ ブログ鉄道・廃線
2020年11月22日
阪急電車と箕面

「阪急電車と箕面」という企画展を見てきました。
会場は阪急電車箕面駅すぐのサンプラザ1号館地下1階の郷土資料館です。
阪急電車開業当時の写真やスパーガーデンの辺りが動物園であったときの資料などが展示されていました。
そもそも阪急が箕面有馬電気軌道という社名だったのは、鉄道ではなく軌道免許(路面電車)での開業で、実際に箕面線の桜井駅のところは昔は路面を走っていたそうです。
知らなかった!
現在の航空写真で見ると、矢印の部分で道路へつながっていた痕跡が見えます。

そして、箕面駅はラケットのような形のループ線になっていて、貨物ホーム、降車ホーム、乗車ホームになっていたようです。当時の地図にラケットの形が見えます。

現在の航空写真でも痕跡が見えます。実際に現地に行っても住宅街を斜めに横切るコンクリートの路盤跡が残っていました。


Posted by びば at 07:33 │ comments:(0) │ ブログ鉄道・廃線
2020年11月18日
京都市電北野線の痕跡を求めて
堀川東岸を北上し、中立売通りで曲がって堀川を渡っていたレンガの橋台跡が今も残っていました。
Posted by びば at 20:19 │ comments:(0) │ 鉄道・廃線
2020年11月09日
摂津富田、松下専用線の痕跡を求めて

昭和36年の航空写真を見ていると、摂津富田駅から松下電子の工場へ専用線(引き込み線が)有ったようです。
さらに今は無い踏切も写っています。
今は、松下の工場とJR線の間は歩行者自転車用の道路になっていますが、以前は無かったようです。
で、現地に痕跡が無いか見に行きました。
工場のフェンスが一部違うところがあったので、ここから工場へ専用線が伸びていたのでしょうか?。工場とJR線路とは高さが違うので、緩やかな傾斜の路盤があったのでしょうが、痕跡はありません。
JRの線路側には指差し確認の標識が放置されていました。
そして、さらに駅に近づくと踏切の痕跡がありました。
踏切の近くにはコンクリートの土台に柱の跡が、この柱が架線柱だったのか信号柱だったのかは不明です。
Posted by びば at 13:54 │ comments:(0) │ 鉄道・廃線
2019年01月07日
大阪から東京への新幹線で、右側に富士山

だいたい運が悪くて富士山を見ることができません。
で、今回は海側の席を取って東京へ向かいました。
すると、静岡の手前で富士山が見えてきました。
なんかラッキー♪♪
Posted by びば at 22:10 │ comments:(0) │ ブログ鉄道・廃線
2016年12月18日
ペコちゃん 阪急電車×ミルキー
ペコちゃんと阪急電車のコラボミルキーが売ってました。
箱の中には、5粒入りの小箱が10箱入ってます。
Posted by びば at 10:40 │ comments:(0) │ ブログ鉄道・廃線
2016年10月10日
JR 試運転 西明石行き

試運転 西明石行き、
ドアも開いて、
お客さんも乗っています。
Posted by びば at 10:15 │ comments:(0) │ ブログ鉄道・廃線
2015年02月23日
さようなら阪急電車2300系
JRのトワイライトエクスプレスが3月に廃止になることが大きなニュースになっています。これまでにも3月のダイヤ改正には、いろんな列車が廃止されていきました。
さて、あまり目立たない話題ですが、阪急の2300系が3月で廃止されることを知りました。
阪急電車は似た感じの電車が多いのですが、私は2300系には思い入れがあります。子どものころ、電車酔いがひどくて、特に冷房車が苦手でした。
冷房車は見送って、冷房化が遅かった2300系を好んで乗っていました。当時はまだ4両編成の短い電車で、夏は窓を開けて走っていました。
連結部分にドアが無く通路が広い車両があるのも特徴でした。
今でも、たまに2300系が来ると、まだ現役なんやと驚いていました。
私より年寄りの車両もついに引退です。
今まで、おおきに
乗り納めせなあかんな~!
Posted by びば at 22:04 │ comments:(0) │ ブログ鉄道・廃線
2014年11月09日
福知山線廃線ハイキング
私も、先日、歩いてきました。
JR宝塚線生瀬駅で降りて、武田尾駅まで約3時間の道のりです。
武庫川渓谷沿いを通るので、景色がきれいです。保津峡のようにトロッコで残せなかったのでしょうか?もったいないです。
鉄道として残らなかったので、こうして歩くことができるので、これでよかったのかな。
さて、JR生瀬駅で降りると、リュックを背負った人たちがたくさん降りてきます。
道を知らなくても付いていけばOK!
廃線跡のハイキングコースに入る前に、しばらくは国道176号線を歩きます。
国道を歩き出してすぐ、左手に廃線跡が見えてきますが、そこは歩けません。

また少し歩くと塞がれたトンネル跡が見えました。
この時までは、廃線跡は左手の高台を通っていますが、ハイキングコースは176号線右手で低い位置にあります。
だんだん低くなっていって、176号線の下を通っていたらしいのですが、痕跡は確認することはできませんでした。
中国道を越えると176号線を渡って、みんな川沿いの道に進んでいきますが、川沿いに進まず、あてもなくちょっと寄り道!
木之元という集落で大きな旧家がありました。
さて、廃線跡ハイキングコースに戻り、いよいよ廃線跡をたどります。
レールはありませんが、枕木が残っています。

歩き始めてすぐに小さな鉄橋がありました。
そして、ここに注意書きの看板があります。他の人のブログでもお決まりのようにこの看板が紹介されています。
要するに危険なところも有るけど、自己責任でっせということ。


久しぶりにかたつむりを見ました。最近、見かけないなあ。
川沿いを通るコースは景色がきれいです。
そして、廃線跡といえば・・・
トンネルと鉄橋!

鉄道の鉄橋を歩いて渡るなんて、普段はできない体験です。

廃線跡のハイキングは高低差が緩やかで歩きやすかったです。
トンネルや鉄橋も冒険気分です。
Posted by びば at 13:12 │ comments:(0) │ ブログ鉄道・廃線