2021年04月26日
廃鉱山を探しに行く
高槻の北西部の山中に以前、鉱山口という名称のバス停があったらしい。(今は別の名称になっています。 ※4)
ということは近くに鉱山があるということ?何を掘っていたのだろう?もう今は採掘はしていないだろうけれど、坑道は残っているのでしょうか?残っているなら見て見たい。
高槻市立図書館のサイトで見ることのできる高槻市史で「鉱山」「採掘」などのフレーズで検索してみたがヒットせず。市史でも触れられていない鉱山・・謎!
で、とりあえず、そのバス停付近へと向かいます。
バス停の横の軽自動車しか通れそうのない細道を進んでいくと、農作業をしている人がいたので思い切って聞いてみました。
すると、「坑道は今も有る。」とのこと。見に行きたいならと、場所を教えてもらいましたが、詳しい場所は他言しないでほしいと、ハイカーによる農作物の盗難があるので、あまり人に来てほしくないらしい。
教えてもらった通りに行くと、人がしばらく立ち入っていない道なき草むらをかきわけながら進むことに・・・さらにしばらく草をかきわけて進むと広い場所に出ました。昔は畑だったのでしょうか?石垣が積まれて、段々畑にも見えます。この段々をさらに奥へと進むと、簡単な鉄骨の櫓が見えてきました。おそらく、これで搬出していたのでしょう。
櫓の下の沢を少し進むと錆色の坑口を見つけました。奥行きは5mほどでしょうか?すぐ近くにも埋まってしまった坑口が2つ有りました。
その後、市立図書館に行って郷土資料を調べてみると、明治になってから採掘されていたことがわかりました。(※2)古墳時代の銅鐸の原料かとも思いましたが、残念ながら近代のものだったようです。鉱山は平成になって市の調査が行われたようです。(※6)調査が行われた場所は小字、地番から近くに有るようですが、今回見つけた坑口とは別の場所です。そちらも明治期に採掘が行われていたようです。
さて、鉱害と言えば足尾銅山が有名ですが、高槻でも採掘が始まると沢から下流の河川への水質汚染で農作物への鉱害が広がったのでしょうか。文献には明治11年に提訴の記述が有ります。(※3)
織田作之助論(※1)によると、織田は新聞記者として大阪鉱山監督局を担当しており、その縁でのちに「鉱山の友」という刊行物にも携わったらしい。(→鉱山の友を調査したいが、府立図書館の書庫建替のため閲覧できず。)
そこで、国立国会図書館のデシタルアーカイブで大阪鉱山監督局の資料を調べると、歯抜けの年も有りますが、年度ごとの管内の鉱山の一覧が見つかりました。
その一覧に載っている高槻の鉱山では、明治28年から主に銅が採掘されており、小字からすると今回見つけた坑口の鉱山のものです。
残念ながら先述の市の調査した鉱山は、この一覧には掲載がないため、明治初期に採掘を終了していたのかもしれません。
そして、銅鉱石から銅を取り出す精錬所はどこに有ったのでしょうか?調べた範囲では精錬所の場所は、分かりませんでした。この鉱山の規模は小さく、精錬は別の場所で行っていたのではないかと推測しますが、そうすると運搬手段が必要になります。明治初期ならトラックもないでしょうし、もしかして人力?
兵庫県の川西市に昭和40年代まで採掘していた多田銅山と精錬所が有りました。ここは、江戸時代には高槻藩の預かり所であったこともあり、何かしらの繋がりがあったかもしれないと、勝手に想像しています。
<銅山年表>
明治5年 銅鉱山発見(※2)
明治7年 銅山採掘開始(※2)
明治11年 銅山鉱害を下流の村民が府知事に提訴(※3)
昭和初年 銅山閉山(初年は元年ではない。※2)
(参考文献)
※1 織田作之助論 著者:尾崎名津子 出版社:和泉書院
※2 近世摂津国嶋上郡服部村の研究 346頁
※3 高槻の近代100年 44頁
※4 高槻市政ニュース123号
※5 大阪鉱山監督署管内採掘特許一覧表(国立国会デジタルコレクション)
※6 高槻市文化財年報 平成8年度版
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Posted by びば at 06:42 │ comments:(0) │ ブログ